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1. 秋の田の

今日の歌は「1. 秋の田の」です。

【歌】

Coarse the rush-mat roof
Sheltering the harvest-hut
Of the autumn rice-field;
And my sleeves are growing wet
With the moisture dripping through.
(Emperor Tenchi)

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
我が衣手は 露にぬれつつ
(天智天皇)

【ひとこと】

秋の農村の光景を詠んでいます。

元の歌で、第2句の「かりほ」は「(稲の)刈穂」と「仮庵」(収穫のための仮小屋)の掛詞です。「かりほ(仮庵)の庵」は、同じ意味の言葉を反復する表現です。

第3句の「苫(とま)」は、菅(すげ)や茅(かや)などを編んで作った屋根です。「苫をあらみ」の「み」は、理由や原因を示す接尾語です。句全体で「苫が粗いので」の意味になります。

第5句の「露にぬれつつ」の「つつ」は反復や継続を示します。英語では「are growing wet」として進行形で表現しています。

英語の「coarse」は「粗い」、「rush」は「藁」、「hut」は「小屋」、「moisture」は「湿り気」の意味です。

2. 春過ぎて

今日の歌は「2. 春過ぎて」です。

【歌】

The spring has passed
And the summer come again;
For the silk-white robes,
So they say, are spread to dry
On the "Mount of Heaven's Perfume."
(Empress Jito)

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天のかぐ山
(持統天皇)

【ひとこと】

「春が過ぎて、再び夏がやって来た。というのも、聞くところでは、『天の香りの山』に真っ白な衣が広げて干されている。」英訳はこのような意味です。

第2句の「夏来にけらし」の「に」は、過去・完了を示します。「けらし」は「けるらし」が縮まったもので、「ける」は過去を示します。英訳では「the spring has passed」と完了形で表現しています。ちょうど夏になったばかりの頃を示しています。

「夏来にけらし」の「らし」は、推量を示します。また、「衣ほすてふ」の「てふ」は、「という」が縮まった形です。この風景が人から聞き伝えであるように表現されています。天の香具山で衣を干す話を耳にして、夏の到来に気付いた様子を詠んだ歌とという設定です。

英語では、衣の件は「they say」と伝聞の設定となっています。しかし季節の推移については、「the spring has passed and the summer come again」と表現されており、推量でなく客観的な事実であるかのように表現されています。

3. あしびきの

今日の歌は「3. あしびきの」です。

【歌】

Oh, the foot-drawn trail
Of the mountain-pheasant's tail
Drooped like down-curved branch!
Through this long, long-dragging night
Must I lie in bed alone?
(Kakinomoto no Hitomaro)

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む
(柿本人麻呂)

【ひとこと】

元の歌の第1句「あしびきの」は、「山」にかかる枕詞です。訳者は、枕詞の字義を工夫して訳出しようとしています。

第2句の「山鳥」は鳥の名前です。当時この鳥は、夜に雌雄が分かれて寝る習性があると考えられていたそうです。尾が長い方が雄です。

恋人と離れて独り寝である今夜の作者の境遇を、山鳥に重ね合わせているようです。

第5句「ひとりかも寝む」の「む」は推量です。英訳では疑問文として表現しています。

英語の「trail」は「引きずる」、「pheasant」は「雉(きじ)」、「droop」は「垂れ下がる」、「lie」は「横たわる」の意味です。

4. 田子の浦に

今日の歌は「4. 田子の浦に」です。

【歌】

When I take the path
To Tago's coast, I see
Perfect whiteness laid
On Mount Fuji's lofty peak
By the drift of falling snow.
(Yamabe no Akahito)


田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪はふりつつ
(山部赤人)

【ひとこと】

富士山の雄大な風景を描写しています。

「白妙の」は富士に掛かる枕詞です。元の歌にそれ以外の特別な技巧はなく、富士の光景をまっすぐに詠い上げています。

この英訳は、言葉の出てくる順序が元の歌と同じとなるようになっている点が、面白いと思います。

「Lofty」は「堂々とした」、「drift」は「流れ」の意味です。

第5句「雪はふりつつ」の最後の「つつ」は反復や継続を示しています。英語では「falling snow」と表現しています。

ところで、今雪が降っているのであれば、山の頂上は見えないような気がします。どのような光景のことを歌にしているのか想像するのも楽しいと思います。

5. 奥山に

今日の歌は「5. 奥山に」です。

【歌】

In the mountain depths,
Treading through the crimson leaves,
The wandering stag calls.
When I hear the lonely cry,
Sad--how sad!--the autumn is.
(Sarumaru)

奥山に 紅葉ふみわけ なく鹿の
声きく時ぞ 秋はかなしき
(猿丸太夫)

【ひとこと】

「山の奥で、真っ赤なもみじを踏み分けながら、さ迷う雄鹿が鳴いている。その寂しげな声を聞くにつけて、秋は何ともの悲しいのであろうか。」英訳はこのような意味です。

元の歌では「声きく時ぞ 秋はかなしき」と、係り結びにより意味を強調しています。英訳では、「how sad!」という文を挿入することで、その後に来る「autumn」を強調する効果を出しています。

雄鹿は雌鹿を求めて鳴くとされています。この歌は、遠く離れた恋人を思う作者の境遇を踏まえて詠んだ歌であると言われています。

英語の「tread」は「踏み込む」、「crimson」は「深紅色の」の意味です。

元の歌の第2句「もみぢふみわけ」の主語は、英訳では鹿となっています。元の歌は、歌人を主語とみなして、歌人が奥山に分け入ったところで鹿の声を聞いたと解釈することも可能です。

6. かささぎの

今日の歌は「6. かささぎの」です。

【歌】

If I see that bridge
That is spanned by flights of magpies
Across the arc of heaven
Made white with a deep-laid frost,
Then the night is almost past.
(Otomo no Yakamochi)

かささぎの わたせる橋に おく霜の
しろきをみれば 夜ぞふけにける
(中納言家持)

【ひとこと】

この歌は、中国の伝説にもとづいて、冬の宮中の様子を詠んだ歌であるそうです。霜が降りて真っ白になった宮中の階段を、七夕にかささぎ(鵲)が作るという天の橋に見立てて詠んだものと言われます。

別の解釈として、天の川を白い霜のようであると詠ったとする読み方もあります。

元の歌の第4句「しろきをみれば」の「み(見)れ」は已然形であり、仮定でなく確定の意味です。今「おく霜」が見えているという臨場感があります。これを英訳では「if... then...」のように仮定の表現をとっています。

この訳者は、他の歌においても確定条件を「if... then...」として表現する場合があります。与える印象の違いに注目すると面白いと思います。

英語の「magpie」は「かささぎ」の意味です。

7. 天の原

今日の歌は「7. 天の原」です。

【歌】

When I look up at
The wide-stretched plain of heaven,
Is the moon the same
That rose on Mount Mikasa
In the land of Kasuga?
(Abe no Nakamaro)

天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも
(阿倍仲麻呂)

【ひとこと】

唐へ渡った留学生が、故郷の光景を思って詠んだ歌であると伝えられています。中国で詠んだ歌が漢詩でなく和歌であったというのが面白いと思います。

元の歌の第2句「ふりさけみれば」は、「仰ぎ見れば」の意味です。

最後の「かも」は、奈良時代によく使われた終助詞で、詠嘆を示します。英訳では、この詠嘆を疑問形で表現しています。

なお、作者の表記は、底本としたWikisourceでは「阿倍仲麻呂」となっていますが、百人一首の世界では「安倍仲麿」の表記の方が広く見られるかと思います。

8. わが庵は

今日の歌は「8. わが庵は」です。

【歌】

My lowly hut is
Southeast from the capital.
Thus I choose to live.
And the world in which I live
Men have named a "Mount of Gloom."
(The Monk Kisen)

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
世をうぢ山と 人はいふなり
(喜撰法師)

【ひとこと】

元の歌の第2句「たつみ(辰巳)」は、東南の方角です。

第3句「しかぞすむ」は、「(私が)こうして住んでいる」の意味です。「しか」を掛詞とみなして、「鹿が棲んでいる」という解釈もあります。

第4句の「うぢ」は、「憂」と「宇治」の掛詞です。下の句は、「(私が)世の中を疎ましく思って(隠遁して)いる宇治山と、世間の人は言うようだ」のような意味になります。

英訳の際、訳者は掛詞の処理をどうしているでしょうか。訳者は「私の住むこの世界を、人は『Mount of Gloom』と呼ぶ」と表現しました。

第5句の「なり」は伝聞の助動詞です。自分のことを他人事のようにひょうひょうと歌い上げる精神は素晴らしいと思います。

英語の「lowly」は「みずぼらしい」、「hut」は「小屋」、「gloom」は「暗闇、憂鬱」の意味です。

9. 花の色は

今日の歌は「9. 花の色は」です。

【歌】

Color of the flower
Has already faded away,
While in idle thoughts
My life passes vainly by,
As I watch the long rains fall.
(Ono no Komachi)

花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
(小野小町)

【ひとこと】

「花の色はもう色あせてしまった。そして、ぼんやりとしているうちに、私の人生も無駄に過ぎていく。長雨が降るのを眺めている間に。」英訳はこのような意味です。

原文の第3句「いたづらに」は、第2句の「うつり」と第4句の「ふる」、さらに第5句の「ながめせ」に係っていると考えられます。

第4句の「ふる」が、「(雨が)降る」と「(時が)経る」の掛詞になっています。

また、第5句の「ながめ」は、「眺め」と「長雨」の掛詞になっています。

こうして、元の歌から次のような複数の文章が浮かんできます。
 「花の色がむなしく色あせてしまった。」
 「無駄に長雨が降っている。」
 「私もむなしく老けてしまったことだ。」
 「(そんな光景を私は)ぼんやり眺めている。」

雨の中で桜が色あせる客観的な光景を、世の中での女の花の時期が過ぎ去りつつあると考える自分の身に重ね合わせて描写し、さらにそれらを無心に観察する境遇を歌にしています。

英訳でも文脈から、そのようなイメージが読み取れるのではないかと思います。

ところで、英訳では「花」が「the flower」と単数で表現されています。「花」がひとりの女性の暗喩となっているからでしょう。日本の文化を知っている読み手なら、元の歌を読んで桜の小さな花びらがたくさん散っている様子を思い浮かべるかもしれません。一方、英訳では、一輪の花を想像してしまうかも知れません。あるいは多数の花をつける桜でも、その中のひとつの花に強く焦点が当たっているように感じるのではないでしょうか。印象が変わりますが、それはそれで面白いと思います。